校友会事務局 宮川庄一
生年月日
1947年(昭和22年)5月25日〈亥・ふたご座〉 奈良県磯城郡の自宅で生まれ真っ赤な顔して泣き叫んでいたそうです。
大学進学・学生時代
大阪市立大学経済学部1966年(昭和41年)入学手続き日に応援団入団し新入団員勧誘の手伝いをしていました。タバコも吸っていましたし、酒は当時の応援団では3番目くらいに強かったです。
学生時代大学紛争真っただ中、紛争解決又は拡大に何もしなかった。この時代は私が自分を歯がゆく情けなくずっと持ち続けている当時の市大に対する思いです。何もできなかったかもしれないけど何かすべきだった。
社会人
1970年4月 住友ベークライト㈱入社、塩化ビニール樹脂の成型材料・食品包装用フィルムシート・精密機械・自動車部品用のプラスチック成型品・などの営業
55歳で病気(死にかけました)になり企業内保険代理店に異動
市大との係わり
67歳の時、長男が結婚し孫の世話を頼まれ23歳から慣れ親しんだ関東での生活を断ち切り大阪高槻に移住。奈良の実家はほったらかしになっています。そのうち崩壊か?
同窓会
大阪に帰ってきたとの情報を聞いた有恒会植田事務局長(当時)から連絡があり殺し文句(一度遊びにおいで)につられて登校したら、市大生と思しきホームに溢れんばかりの女子学生に目が眩みその日のうちに有恒会会員部会の一員になってしまいました。
今の宮川庄一
府大・市大統合後の校友会の事務局の進める方向に乗り遅れ・乗り違いの無い様あがいています。
少しばかりの自慢
僧籍を持っています。勉強しないので位は上がってなかったのですが後輩が東大寺で一番偉くなって一階級上げてもらえるのでこんなことになりました。西行法師や一寸法師より一階級上です。
宮川庄慶とは私の僧名です
皆さんへのお願い
校友会につきましてご意見等ございましたらご一報ください。